Big Phillのダンス哲学

ダンスの本質を100年先までに伝える定義の再構築

ダンスにおける「社会的地位」について本気で考える

こんにちわ、BIG PHILLです。
本日はダンサーの社会的地位について話します。


実はダンスにおける「プロ」は成立しない

前回でお話したように
今はまさにダンサーユートピア時代です。

bigphill1982.hatenablog.com



ダンサーの社会的地位はますます向上し、
職業も増え、メディアにネット、あらゆる場面で
稼ぎを得る光明を見るでしょう。

今のダンスシーンは大きく分けて三つの路線で
盛り上がりを見せています。

①スポーツ選手(オリンピック
②プロダンサー(DLEAGUE
③ネット(youtuber/tiktokerなど

主にこの三つの路線で、
一般人の方々の目にも触れる場面が増えています。

だた「プロ」という観点で見た時に、
つまり①とで見た時に、

ダンスというのはスポーツマンとしてもプレイヤーとしても、実は成立しないのです。

何故なら本来ダンスに明確な勝敗が存在しないからです。

例えば、ボクシングだとどっちかが倒されて初めて勝敗が付きますので、
勝敗は明確に決められます。

でも、ダンスは審査員の主観によって勝敗が決められます。
また審査員が変わると結果も変わります。

つまり、ダンスは競技として成立するには自由度が高すぎるのです。

また、ボクシングのように明確な勝敗がなければ、
一般人が見ても楽しめず、ショービジネスにも発展しません。


なのでダンサーが目指す「プロ」の形は
本当はプロ野球のようなリーグ戦でもなければ
プロボクシングのような個人の頂点を目指すモノでもなく、

あくまで「アーティスト」であるべきだったのです。

因みに、ダンスに近い種目でフィギュアスケートというのがありますが、
フィギュアスケートはご存じのように公平を期すためにも
決められたプログラムで演技をしています。

残念ながら個性や即興性を重んじるダンスのバトルでは
それに適応しません。

今、各国の委員会はブレイクダンスへの審査基準に
様々な細かな定義を定め、公平な競技になるよう努めていますが、

それが優劣を決める為の定義になるのか、
それともBBOYの在り方と本質を見定める為の定義になるのか、

その部分がまさに今後ダンスが
本当の社会的地位を獲得できるかの話に繋がってきます。

 

ダンスの本質


ダンスの本質がアートというのもあり、
社会は常にダンスに対しエンタメ性を求めがちになります。

その為ダンスには必ず流行る時期流行らない時期があり、
職業としての安定性はありません。

なので、一握りのカリスマ性がある人間が憧れの的となり
スポットライトを当てられる「アーティスト」ダンサーにとって最も自然なプロの形なのです。

では、カリスマ性のないダンサーは淘汰されてしまうのか?
特別な人間じゃないとダンサーになれないというのか?

いいえ、そうではありません。

本来ダンスはアート、つまり芸術であり、
これは自己表現の手法の一つです。

自己表現とは自分の内面を表に表す事であり、
イメージを具現化する事を言います。

なので、ダンスに限らず、
芸術における本分が自己表現であるならば、

必然的に本来あるべき表現者に求められる事は、
究極の自己理解なのです。

多くの人は独創性個性を持ってダンサーの価値を計ります。
しかし、その価値観で判断する限り、

評価されるのはいつまでもまさにその「一握りの人間のみ」になってしまうのです。

それは健全ではありません、

勝負の世界では当然とされるかもしれませんが、
全ての人間を勝負の世界に巻き込む必要はないのです。

結果を出さなくてもダンスはしていいし、
楽しんだり共有したりしていいのです。

そういった健全さを保たなければ

「バトルも勝たなければ価値がない」
「オリンピックも金メダルでないと評価されない」

といったマインドを育てる事になります。




芸術の本質は「人格=人間性



多くの親が子供にダンスをやらせる事で、
創造性独創性を育てたり、

勝負の世界に身を投じさせる事で、
精神を磨き、心を強くさせようという親心も理解できます。

ただ、優しさを持って的確に技術を伝える良きインストラクターが増えている一方、

努力しない生徒は無価値であると堂々と発言するダンサーも存在しています。

非常に残念な話ですが、ダンスの技術を除き、精神的な事を教えてあげられるほど、
人間性が磨かれたインストラクターが非常に少ないのが現状です。

このままでは、ストリートダンスは今回のブームが去ると同時にまた廃れていく事になるでしょう。

社会的地位の確立とは、人口に変動があっても、
ずっと同じ価値で在り続けるポジションを指すと、私は考えます。



本質的な「社会的地位」を獲得するには?

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バレェダンスは美術であり、学問である。


同じ習い事でも空手や柔道、バレェダンスと
ストリートダンスの間での違いは何か?

それは「人としての学び」がそこにあるかどうか、つまり「道」です。

空手や柔道は「武道」であり
単に人を倒す術である「武術」のみではなく、

「武」を持って「人」を極めんとする「道」
そこにはあるのです。

また、バレェダンスもただの芸術ではなく、
「美」に特化した「美術」であり、

「上手さ」や「美しさ」など
全てに明確な定義を持った「学問」なのです。

アカデミックに整えられた情報体系からは、理論的に構築された思考を学ぶ事が出来ます。

また、究極の美を追求する過程で、精神力観察力を磨く事が出来、気品のある振舞人に優しくする人格を手に入れる事が出来るのです。

しかし、ストリートダンサーの場合、HIPHOPカルチャーの概念であるLOVE、PEACE、UNITY、HAVING FUNの内、

22年ダンスシーンを見てきましたが、恐らくどれも体現出来ていないのが現状のようにに感じます。

派閥同士でいがみ合い、口では平和でも内心では認め合っていなく、

結果を出す強者は弱者を見下し、弱者は居場所を失い、ダンスを楽しむのもままならない。

表面上楽しく皆共有しているのはごく一部であり、水面下では悔し涙を飲み、人知れずダンスシーンから離れていく者も少なくありません。

どうしてこんな風になってしまったのでしょうか?それは「教育者」が現在ダンスシーンにほぼ存在しないからです。

ダンスの技術を教える者はいます。楽しくダンス出来る環境を整えるスタジオもあります。

しかし、ダンスを通じて「人」を教えるインストラクターもスタジオも未だに存在していないのです。

ダンスは自己の内面を表現する芸術にも関わらず、今のストリートダンスシーンは技術や結果といった「表面」にフォーカスし、

自己表現で最も大事な「内面」をフォーカスするダンサーが残念ながらほとんど見かけません。

自分を表現したのがダンスなら、
ダンスはそのままの自分という事なのです。

なのでダンスで未熟な部分は
そのまま自分が人として未熟な部分の鏡移しなのです。

成熟したダンスをするには
まずは人として成熟するよう人を学ぶ必要があります。

例えば、慌てる癖がある人は、ダンスを通じて落ち着く振舞を学ぶと言ったように。

これが「道」であり、それを学ぶ「道場」なのです。

これを教える人がダンスシーンにおいて増えない限り、ダンスの社会的地位が確立する事はきっと難しいでしょう。

今後「舞術」ではなく「舞道」を教える人が現れ、そういった人が審査員となり、シーンを導くようになれば、

ダンスは「上手さ」や「下手さ」といった結果にとらわれる事なく、一つの「学問」として全世界の人民が平等に学ぶ事が出来るようになるでしょう。

そうなって初めて、HIPHOP文化から文明昇華し、全世界を本当の意味で一つに出来る宗教とも違う新しい「学び」として、

武道や茶道など同じく国民にとって動かしようのない社会的地位獲得するのではないでしょうか?

これが今の私が考える
ダンスにおける本質的な社会的地位の在り方です。




長文を最後までお読み下さり誠に有難う御座いました。
それでは、また!



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