Big Phillのダンス哲学

ダンスの本質を100年先までに伝える定義の再構築


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「Street Dance Roots国際賞 2022」

ノミネート期間 8/31まで
投票期間 11/10まで
受賞者発表 12/10 (南カルフォルニアの会場にて)

ノミネートも投票もこちら☟
https://www.streetdanceroots.com/nomination

さぁ、皆さんが「こいつこそがストリートダンサーにふさわしい!!!」と思うダンサーを選び、ノミネートをしてください!

ノミネートされたダンサーは全世界の人々(ダンサーのみではない)の投票によって、12月10日に南カルフォルニアにて「2022年度の最優秀のストリートダンサー」が発表されます。

各ジャンル一人ずつ選べますので、自分のジャンルのみならず、他のジャンルからも選ぶ事ができます。

推したいダンサーの名前と動画(youtubeinstagram)のURLをノミネート欄に埋めてください。

もちろん、ご自身こそが最優秀ストリートダンサーに選べれるのにふさわしいと思う方は、ご自身を選ぶのもアリです。

今年も皆様のご参加をお待ちしております。


Street Dance Roots Team 一同より

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#hiphop
#bboy
#campbellock
#Theoriginallockers
#ストリートダンス
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ROCKINでOGがクラシックのみで踊る事について

こんにちわ、フィリップです。
最近ROCKIN JAPAN がプレゼンスする「ROCKINトークセッション」というラジオを聞いています。

open.spotify.com

この中でOG達はクラシックの曲で踊る事に物凄く感情的になってまで強くこだわる事があるという話が出てきます。

じゃあ、クラシックではなく新譜で踊るとROCKINではなくなるのか?
また、それはOG達のエゴであって、新世代からするとそこまでこだわらなくてもよいのではないか?という話が出てきます。

そこに対して私自身がずっと思っている事があるので、ここでラジオのフィードバックが出来ればと思います☟


続きを読む

「才能」と「センス」を明確に説明してみた。

センスを直訳すると「感覚」
でも普段私達が捉えるセンスとは「才能」に近い感覚の事だと思う。

才能とセンスの違いとは?

才能は、才と能がくっついた単語である。

「才」は木材の「材」という字にも使われてるように
「もともと備わっているよいもちまえ」を意味する。

つまり、才能のとは「能力の元となるモノ」もしくは
「能力を活かすモノ」を意味する。

結論、能力があってもそれを使う「才」がなければ意味がない。
どれだけ筋肉があっても使い方を知らなければ力を出せないのと同じである。

するとこの能力を使う為の力が「才」であり、
この「才」の部分がセンスという事になる。

英語で考えると分かりやすいのだが、

センス=sence
才能=talent
能力=ability

ちゃんと英語では明確に分けられているのである。


ささ、しかし、御託はいいから、
センスは「才」だと分かってても、
肝心の「才」の定義があやふやでは意味がないではないか!

確かにその通りである。
だから、説明は簡潔でいこうと思う。

ます、センスは二種類ある。
ひとつは先天性、もう一つは後天性のモノだ。

先天性のモノは生まれ持ったモノ。
それは能力によって生まれる才の部分である。

例えば、視力がいい人は映像を作るのに向いていて、
聴力がいい人は音楽を作るのに向いている。

この生まれつき持っている才の事を「素質」という。

そして視力がいい人は映像を作るのに向いているが、
映像を作る事自体の能力を伸ばす才が必要となる。

もしくは観察力や洞察力も含めた
視力自体の能力を伸ばす才も必要となる。

この生まれてから延びる才の事を「資質」といい、
ンスとはこの資質の「才」の事を指す。

自分の持っている素質と資質を上手く理解し、
自分の能力を最大限に引き出す、

この能力を使う才の事を「才能」と呼ぶ。

ちなみに資質は別の言い方をすれば「素質の性質」ともいえる。
つまり、自分という素材を伸ばす方向性が資質そのものなのだ。

では、資質は何によって決まるのか?
それは脳内に蓄積した情報の質によって決まる。

人の脳は知っている事しか認識できない。
例えば、子供の頃から英才教育を受けていると、

周囲の人間には見えていないが、
英才教育を受けた者には見えている何かがある為、
周囲の人間よりも成長速度が速くなる。

しかし、大事なのは情報の「質」である。
何を持って情報の質を計るのか?

勿論情報に入っている知識が正しいモノかどうかも大事だが、
もっとも大事なのはその情報に帯びり着いている「価値観」である。

この価値観の精神性が情報の質の基準を作り、
今後脳が捉える情報の性質に大きく影響を与える。

「勝てば手段は選ばなくていい」という教えと
「勝っても相手への敬意を忘れてはならない」という教えでは
異なった人格が育つのはいうまでもないだろう。

人格が異なれば、
成長の質もそれに準じて変わってくるのは当然の事である。

そして、この脳内の情報がアンテナとフィルターとなって、
その人の中の「当たり前」が形成されていく。

これがいわゆる「マインド」である。

能力を活かすチカラがセンス(才)であり素質
能力のポテンシャルを広げるのがマインドであり資質である


ここまで掘り下げると、
もしセンスの磨き方を教えてほしいと生徒に求められた時に、
明確に何をすべきかを伝える事が出来る様になる。

そして「才能の無い人間は存在しない」。
「才」を磨けば能力は拡張される。

これを知れば多くの人は自己肯定感を取り戻し、
本当の自信を獲得できるようになる。

これが私の願いであり、持論である。

 

 

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ダンサーが社会不適合になってしまう最大の理由

ども、年齢による肉体の衰退を止められないビッグフィルです。
しかしなんという事でしょう。

しっかりゆっくり体を作って行きながら練習をすると、
なんと、肉体の進化が止まらないではないか。

また、しっかりコンスタンスに練習をすると
ちゃんと肉体もついてくるようになる、

当たり前な事だが、
忘れがちな事でもある。

ただ、30代に入り、仕事に専念し、
コロナもあって練習から離れてみて分かった事がある。

こんな事があったのなら
そりゃあダンサーが社会不適合者になっても仕方ないと、
すんなり思ってしまった次第である。

それは「肉体疲労による脳機能の低下」である。



人間の脳の受け皿は3つまで
とされている。
同時に処理できる事が3つまでという事だ。

ブレイクの練習にありがちな後遺症、
筋肉痛、ケガ、疲労この時点で3つ埋まっている事になる。

この時点で脳機能は実はもう正常に機能していない

パソコンでいうアプリやソフトを起動しまくってキャパがなく、
クリック一つで画面がフリーズする状態をイメージすると分かりやすいだろう。

ここにもし徹夜とか、深夜練といった夜型生活が入ると、
状況はなおさら最悪である。

まず、成長ホルモンが最も分泌される夜10時から深夜2時までの間で睡眠が取れない事で筋肉が戻らないし育たない。

さらに夜型になると体内時計が狂い、
身体のバイオリズムが狂う

そうなるとまずダメージを受けるのは「消化器官」だ。
特に腸は「第二の脳」と呼ばれている。

腸が不調になるだけでも感情の起伏に大きな影響を与える。
さらに食事をとっても上手く栄養が吸収されない。

せっかくタンパク質を摂取しても筋肉に吸収されない。
そりゃあ筋肉痛も疲労も解消されないし、
怪我も治らない。

そんな状態で会社に出て仕事をした所で、
いい仕事ができるはずもない。

仮に仕事ではアドレナリンで乗り越えられたとしても、
仕事の後はその反動で全ての身体機能が低下する。

それで帰宅後に恋人や家族にサービスなど出来るはずがなく、
人によってはケンカばかりになってしまうのも当然である。

これはよく言われる「脳筋」とは違う。
脳筋はと「筋肉が全てを解決する」とか「努力や気合でなんとでもなる」と思っている人種の事である。

これは単なる不健康であり、
それを根性ややる気、気合などで乗り越えるかしないかで努力レベルの計りとしていた時期が過去のダンスシーンにはあった。

今の子たちには恐らくこういう事はもうないと思うし、
あってほしくないとも思っている

勿論社会不適合になってしまうのには
個性ファーストと言ったマインドの問題もあったと思うが、

そこから抜け出すのに必要な思考力は実はすでに奪われていたのだから、
そうなってしまうのは本当に当たり前といえば当たり前である。


ここでは社会不適合と言っているけど、
実は単に結果を出せる人間とそうでない人間、

もしくは成功をする人間とそうでない人間の違いは
実は才能や頭脳の良さよりも

「健康」が最も人生の全てを左右していたのかもしれない。

過去を振り返ってふとこんな事が頭をよぎる39歳の初夏である。

 

ダンサーの社会的地位が低いのは所得の低さが原因ではない

こんにちわ、BIG PHILLです。
7年前にダンサーにおける社会的地位に対する私の見方を記事にしたモノがFacebookの思い出で出てきたので、それをこちらのblogに載せたいと思います。

元記事⇩
https://www.facebook.com/photo?fbid=10206907637919375&set=a.1136939433592
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ダンサーの社会的地位が低いのは所得の低さが原因ではない

 
ダンサーは社会不適合者
正直これはもう自分までの世代のイメージで
最近の若いダンサーを見ていると自分の時代よりはみんな礼儀が正しいし、思考もまともだし、仕事も見ていたらしっかり行っている子も多い。

勿論どの時代にも挨拶の出来ない子はいるし、
確かに思考がまともになった分いい意味での暑苦しいBBOYも減った。

昔の裸の付き合いが減り、表向きな付き合いをするBBOYも増えた。
でもそれは人付き合いが上手になったとも取れるので、今のBBOYの方が社会に適合しているとも言える。

その分人とのコミュニケーションが苦手という子も増えたようにも思えるが、それはダンサーがっていうよりその世代の子達がみんなそうなので、そこは今回の論点には含まれない。

さて、ダンサーは所得が低い、つまり「収入が低いから食べていけない職業」という理由で社会的地位が低いと考えられている方が多いようだ。

でも、果たして本当にそうだろうか?

例えば大手企業のやり手の社長が「実は僕ダンサーなんです。」と言った所で、「なるほど、この社長は器用なのか...」と、その社長の身体能力に対するピンポイントな評価と意外性によるポイントアップにしかならない。

イチローの様な有名なスポーツ選手が仮に「ダンスを習ったからここまで野球がうまくなりました」と言ったとしても、ダンスに興味を持ちダンス人口は増えるかもしれないが地位の向上には連結しない

ケント・モリのようにダンサーとして地位を確立し高収入を得られたとしてもそれはあくまで「こういう人もいる」という実例がひとつ増えただけに過ぎない。

僕は12歳の時にダンサーを目指すと言った時に「ダンサーは食べていけないだろ!」と家族一斉に反対されていた、(それは僕の身を案じての反対のでそこを責めたい内容じゃない事を誤解のないように付け加えておきたいと思う。)

だから「まずは所得を上げる」という考えが先行してしまうのは無理もない事だし、多くの人も共感し理解している部分だと思う。

ただ上記に書いたように結局はその個人だけがピックアップされて終わるので、実際はそれでダンサーの社会的地位向上につながる訳ではない。

それよりもダンサー一人一人が豊かな精神を鍛え、充実した心を育て、人のお手本になる行動をとれる様にしていく事の方が重要だと、僕は考える。

例えば、
  • 練習場所では服を綺麗に畳むなりして荷物を散らかさない、
  • 通行人にしっかり気を遣い、道を譲り会釈をする、
  • タバコは喫煙エリアで吸うか携帯灰皿を使う、
  • 練習着も含め清潔感のある服装を心かける、
  • 勉強や仕事に支障をきたさない様にダンス活動をする...

など、行動面で当たり前の事を当たり前にするだけではなく、

  • 素直かつ謙虚でいる、
  • 助け合う精神を持つ、
  • 人に敬意を払う、
  • 高い目的意識を持つ、
  • 思いやりや気遣いを持つ、
  • 相手の考えや気持ちを受け入れ理解する...

など、精神面でもしっかりした思考を持つ事で、
ダンサーでも社会人としてでもなく、
一人の人間としてダンサー一人一人が成熟した精神を持つ事で初めて今までの悪いイメージが払拭され、社会的に「ダンス」が認められると思う。

これは武術家道家の違いと似ている。

どれだけ技術や経済的に向上してもそれは「術」であり、
生きていくための「道」を示す事は出来ない。

だから同じ習い事でも
武道とダンスでは重みが違うのだ。

親では教えてあげる事の出来ない精神面を鍛えてもらう事が、本来習い事に親が期待いている一番核心な部分である。

逆に本気で経済力で社会的地位の向上させたいのであれば、
その者自身があくまで「ダンサー」を軸として生きている人物でなければならない。

ダンサーとして生きるとは「今でも踊り続けている」という事ではなく、今あるダンスシーンの最先端に身を置きダンスシーンに貢献するという事である。


例えば

・日本最大のダンスイベント企画会社「ADHIP
・日本のレアジャンルダンサーを発掘し独自のカルチャーとして世界へ発信すると共にダンスによる福祉活動なども行なっているエクスペリメンタル ダンス団体YOZIGENZ
・次世代を育成するダンスアカデミー

MCA /

THE FLOORRIORZ ACADEMY/AIONなど


youtubeでダンスを発信しているyoutuber (FLAVAJAPANなど)
・ストリートシーンからアーティストへの転向(七瀬恋彩/RABなど)

いずれもダンサーとしてダンス界の外に向けて発信してくれている。

そしてその活動で生計を立てている実例こそが経済面による地位の向上であり、これからダンサーを目指す者にとっての道しるべになるのである。

少なくとも今の子供達は親に「ダンスして何をして食べていくのだ」と聞かれた時は上記のお手本を提示する事ができる。

とはいえ、そこはあくまで「術」の部分であり、やりたくても全員ができる訳ではない。

なので社会的地位の向上において僕らダンサー一人一人全員ができる部分があるとしたら、それは「道」の部分であり、そしてこれからは一人一人がもっとそこの部分を深く追求し、特にダンスインストラクターがそこの部分を広めていかなければならない。

ダンサー一人一人が人のお手本になれるよう心を鍛え、精神を磨く。そうする事でダンスは単なる「趣味」や「競技」から「生きる道」を学べるより神聖な芸術へと昇華する。

それが僕が考える本質的な社会的ダンサー地位の向上である。


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「音楽を聴く事を技術にしないで!」

こんにちわ、フィリップです。
この記事は私が7年前(2015)に書いたモノです。

当時私は脳内に浮かぶ言葉と数秒後に口する言葉に
既に誤差がある事に気づき、脳内の情報整理訓練の一環として、

ほぼ毎日2000~6000文字の記事を書いていました。

内容としてはまだエビデンスも薄く、
主観と経験によるモノが強いですが、

本質はしっかり捉えていると
今読み返しても思うので、

自分の振り返り用の保存版として
こちらのブログに残しておきたいと思います。

www.facebook.com

 

●音楽を聴く事を技術にしないで!

 
世界で最もFRESHなBBOYの一人WICKET
FOWNKという言葉を提唱している。
FOWNK(フォワンク)とは、
ノっている感情が表情に出ている事、
つまり「顔がノっている事」。
WICKETは顔がしわぐちゃになって
音に入り込んで踊っているダンサーを見ると一番興奮するという。
「あぁこの人絶対ダンスが好きなんだな」
ってこっちまで顔がしわぐちゃになって
音にノってしまうのがFOWNKだと言う。
そして顔の他に「首」も
かなり大事だとも言っている。
「POPPER、LOCKER、BBOYのうち、
POPPERもFOWNKだけど、
一番FOWNKなのはやっぱりLOCKERなんだ!
あの人達は顔は勿論だけど,
首もものすごいノっているだろ?
あれでダンスが好きというのが伝わるし、
こっちまでノリたくなる、
なにより単純にかっこいいんだ。
俺はもともと音も聞かないパワームーバーだったんだけど、
フローマスターを見てBBOYINGに目覚めたんだ。
フローマスターはもともとLOCKERだからTOPROCKの一歩一歩に首が入っていてカッコ良かったんだ、それを見た瞬間すぐに鏡で練習し出したよ!w
だからFOWNKを知りたければLOCKERやPOPPERを見るとわかりやすいよ!」
確かに、黒人リズムの源は首からなのを駅でハトを見て発見したと、かの有名なTONY TEEも「黒人リズムの秘密」という本で述べている。

 

 

ただ、このように書くと首や表情の研究をしだすものが現れてくるが、この首や表情の根本は音楽が好きだという気持ちが源だという事を忘れてはいけない。
この話を聞いて「じゃあ首を入れよう、顔をつけよう」と考えてしまうとそれはノリ(感情表現)ではなくただの技術になる
ダンス歴を重ねるとどこかのポイントで「音を聞かなくちゃ」と教わり、音楽を楽しむ事を忘れ、音楽を聴く事を技術の一部として捉えるようになる。
「聴く」ではなく「感じる」と考えていると、それはそれで上手く踊る為の技術として捉えている為、結局思うように音楽を感じる事ができず、初心に戻りたくてもなかなか出来なかった経験をしたというダンサーも少なくないと思う。
思い出してみよう、いい曲に出会って満面笑顔になった瞬間の事を!
CD屋の視聴コーナーで人目があるのに我慢できずにノってしまった体の事を!
もう一度音楽を聞いた時に揺らいだ感情、高ぶった鼓動を感じてみよう!
クールなサウンドを聞いた時の高揚感、
メロウな曲を聞いたときの切ない気持ち、
パーティチューンを聞いたら跳ね上がりたくなり、
ジャズのような洒落込んだ音を聞くとスーツでも着て軽やかなステップでも踏みたくなる。
心の奥から湧き出てくる気持ちを思い出そう!
その気持ちを開放させるからダンスは楽しいのだ!
 
 

自由が存在する為の絶対条件

こんにちわ、フィリップです。

凄い昔の話ですが、あるインストラクターが生徒に対し

「自由に踊ってください」と指示を出しました。

 

すると多くの生徒が自由に踊るとは?

というのを模索する中、一人だけ違った事をする生徒がいました。

 

その生徒はその日に習った振付を踊り始めたのです。

するとインストラクターは「自由に踊るように」と指摘をしました。

 

この時、私は思いました。

 

今この瞬間、このインストラクターは

この生徒から「振付で踊る自由を奪ったのだ」...と。

 

このインストラクターは本当は「アドリブ」を教えたかったのと、

同時に「個性」を持たせたかったのです。

 

しかし、

 

即興性を磨くには動きの選択肢を予めにデータとして持っている事が必要であり、

ダンスに個性を持たせるには感性を磨く必要があります。

 

なので、そのどちらを養うのにも別のレッスンが必要だったのですが、

この時のインストラクターはそれに気づいていませんでした。

 

「好きに踊ってよい」と言っているのにも関わらず「やってはいけない事がある」

この事が生徒を困惑させてしまったのです。

 

 

●自由が存在する絶対条件

 

自由というのはまず不自由の中でしか存在しません

自由が存在するのにまず「ルール(縛り)」が必要なのです。

 

例えば、真っ白な何もない空間で何をしてもよいと言われても

何もできません。何もない空間なので

 

歩く事も

息を吸う事も

空を飛ぶ事も

目を閉じる事も

 

出来ません。

 

 

え?目を閉じれない?

はい、そうです、貴方自身すらも存在しないのですから。

 

貴方が何かをするにはまず「肉体」という「縛り(ルール)」が必要です。

目があって初めて物を見る事が出来、

手があって初めて物を握る事が出来ます。

 

歩くには地面と引力があって初めて歩けます。

息を吸うには空気があって初めて吸えます。

空を飛ぶには空があって初めて飛べます。

目を閉じるにも瞼があって初めて閉じれます。

 

 

お分かり頂けますでしょうか?

自由が存在する絶対条件、それは縛りであり、

つまり「不自由」の中でなければ自由は存在できないのです。

 

 

●ダンスにおける自由

 

我々は引力のある地球の上で、

音楽という芸術に従いながら、

自らの肉体を媒体にして、

 

自分の脳内のあるイメージを表に現し、

その表現を形作る事を「創造(クリエイト)」といい、

 

そのクリエイトした創作物を「芸術(アート)」といいます。

 

現代音楽においては曲のノリ(GROOVE)によってジャンルが定義され、

それぞれのジャンルの音楽に最適化したダンスが、そのままダンスのジャンルとなります。

 

それぞれのジャンルにはそれぞれ基本ステップが存在します。

 

このように少しずつ少しずつ、縛り(ルール)が増え、

人はこのルールを窮屈に感じる事があります。

 

そして自由を求め、新しい形を探し、

それを自由だと考え、ルールから解放をされる事に対し喜びを感じます。

 

しかし、本質は実はその逆なのです。

 

自ら不自由を選べる人こそが最大の自由を得られます。

何故ならその者の中から不自由が存在しなくなるからです。

 

自由において、最も最高純度の自由とは

「不自由を自らの意志で選べる事」なのです。

 

最初にお話しさせて頂いた振付を踊った生徒を見て、

私は率直にそう感じたのです。

 

何をやってもいいと言われる中で

わざわざ不自由を選ぶ人はいるだろうか?

 

いや、いない!

 

何故いないのか?

出来ないからだろうか?

 

いや、そうではない。

ただただ単純にその発想が浮かばなかった、

それだけなのです。

 

「不自由を選ぶ自由」が存在する事を、

果してどれだけの人が気づく事が出来た事でしょうか?

 

その生徒さんを見て、私は多くの事に気づく事が出来ました。

 

ルールは鎖ではない、

ルールはレールだったのです。

 

あのレッスンにいた多くの生徒の中で、

なんと滑稽にも一番自由に踊っていたのは

振付を踊っていた生徒だったのです。

 

 

 

....と、そんな感じで、

ひとつのテーマを素粒子レベル以下にまで探求し、

「答えがないのが答え」という哲学の基本に則ったうえで、

 

我々人間は行動を起こす為にそのない答えの中から一つ選んでいる事を、

テーマごとにしっかり言語化していくのがこのブログの主旨となります。

 

なので、あまり現役プレイヤーが読む内容というよりかは、

既にダンスから離れた大人の方か、指導者を目指している方の方が

楽しんで読んで頂ける内容なのでは?思って書いてます。

 

なのでブログの名前が「大人が読むダンスBLOG」なのです。(笑)

 

それでは、今回はここまです。

最後までお読み下さり誠に有難う御座いました!

 

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ダンサーはダンスで語るしかない。

こんにちわ、フィリップです。

 

本当は色々と書きたい所ですが、

これはマガジンではなく個人ブログなので、

普通に普段思った事もこれからは綴っていきたいと思います。

 

そこで、今回お話したいのはコレです。

 

●ダンサーはダンスで語るしかない!

 

言うまでもない事なのですが、

今日ふと改めて思ったので書こうと思いました。

 

実は私は日本ブレイクシーンにおいて、

ブレイクダンスへの美学は2003年以降に一度無くしていると思っています。

 

トップロックの美学

フットワークの美学

スタイルの美学

フリーズの美学

 

唯一日本に残っていたのはパワーの美学だけでした。

日本には誇るべき素晴らしいパワー職人の皆さんがいました。

 

しかし、それ以外の職人さん、

つまりそれ以外の美学を持ったBBOYはプツリといなくなりました。

 

●美学とは?

美学とは「在り方」であり、

「本質を保とうとする姿勢」の事ですが、

 

例えばBBOYであれば、ジャージを履いたり、

凄い技を決めるのが美学ではありません。

 

常に「かっこよさ」を意識し、

直観より生み出された閃きを形にする「FRESHさ」を体現する事です。

 

ここでいう「常に」とはダンスをする時のみではなく

寝ていても、食事している時でも体現をしています。

 

かと言って四六時中、意識してやっているのではなく、

呼吸と同じレベルで身に染みついている状態の事を指します。

 

でも決して常日頃「yo! yo!」とか言っているという意味でもなく、

普通に生きるのですが「生き方」として「美意識」を持って生きていくという意味なのです。

 

●ダンサーはダンスで語るしかない!

 

本来オリジネーター達が守ろうとしていた美学を継承し

維持していきたい。

 

それが私の思いであり、

ブレイクを愛しているがゆえに、

そこを外したくない自分がいます。

 

しかしいくらそれを言葉で示し、

人々の理解を得た所であまり意味はありません。

 

また、それこそ若きKEN SWIFTやEZ ROC

IVANなどの動画をシェアしても意味がありません。

 

何故なら言葉や動画では「感覚」が伝わらないからです。

 

今この時この瞬間リアルタイムで

生で感じたバイブスとフレイバーでないと

「響く」事はないのです。

 

熱を持って踊るダンスは生ものだからこそ

その鮮度はまさに一瞬であり「FRESH」なのです。

 

なので、美学を人々に伝えていきたいのであれば、

私自身が踊って示すしかないのです。

 

そもそも「思った事を具現化する」事が表現であり、

それによって何かを生む事を「創造」というので、

 

私自身が思った事を表現してクリエイトをしない事には

アートではないし、ダンスにもなり得ない訳なので、

 

最初から「踊って示す」という一択以外

他ないんですよね(笑)

 

● エゴは不純物

 

ちなみに、仮に踊って伝わらなかったとしても

実はあまり関係ないのです。

 

「?」

「何を言っている?」

「伝わらなければ意味がないではないか!」

 

と思われるかもしれませんが、

 

伝わるから踊るとか

伝わらないから踊らないとか

 

そういったモノではないのです。

 

確かに伝わってほしいし、

行動の目的の一つとして、伝えたいから踊るというのがあるのですが、

 

でも根本は自分がブレイクを愛しているからであり、

愛しているからちゃんとブレイクを踊りたいのであって、

 

決して人に分かってもらうとか、

他人ファーストで踊る訳ではないのです。

 

また、「伝えたい」という意志自体は

私の「エゴ(自我)」であり、

 

それは受け取る側からすると不純物であり、

ダンスを見て貰うには邪魔なモノなのです。

 

例えば、好きな人に告白をするときに

好きな感情を単純に伝えれば伝わりやすいですが、

 

「付き合いたい」「貴方に触れたい」「YESと言ってほしい」

といった思いまでが見えてしまうと、

 

YESと返事したくても出来なくなってしまいます(笑)

それと同じ事です。

 

なので、私がブレイクを愛しているので

その愛の形としてオールドスクールを体現していくわけです。

 

(愛はHIPHOPの4大要素の一つですので、

コレについてもまた今度しっかり書きます。)

 

そうは言っても、

その場にいる人の記憶や心に残った私のダンスはいずれは必ず消えていきます。

 

なので、ダンスとは別で

探求してきた事を可能な限り言語化し、

 

一つの仮説や理論で終わらせるのではなく、

立場や環境に関わらず、

 

地上に住むありとあらゆる人間にあてはまる「学問」として

一つのカリキュラムを書き上げて次世代に残す事が出来れば、

 

老若男女人種国籍問わず、

全ての人にブレイクの美学が伝わり、

 

また、身体能力に関係なくすべての人が

かっこいいBBOY・BGIRLになれるのではと、

 

勝手ながら思っている今日この頃です。

 

とまぁ、こんな感じですが、

これからはありのまま私自身の思った事を綴っていきたいと考えています。

 

恐れ入りますが、みなさん

これからも何卒宜しくお願い致します。

 

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DLEAGUEでのテリー伊藤氏のコメントについて

こんにちわ、フィリップです。

先日DLEAGUEにて審査員であるテリー伊藤が問題発言をしたという投稿を散見しましたので、調べてみると「なるほど」と状況を理解しました☟

 

https://twitter.com/topsynnus5252/status/1506106422643339264?s=20&t=yd1aoiFyAQyj7mgxtXBrPg

 

f:id:yasukuni1982:20220325173648j:plain

DLEAGUEにて審査員を務めるテリー伊藤




テリー伊藤氏の背景から考えてみる

 

(この投稿はテリー氏を擁護する為ではなく、あくまで不必要な感情の噴出を回避し、より今回の出来事の本質への理解につなげる為のモノであると、ご理解の上でお読み進んで頂けると幸いです。)

まず、テリー氏の背景とは生い立ちです。
テリー氏はただいま79歳の男性、生まれたのが第二次世界大戦の真っ只中。

思春期はその余韻が残る時代であり、
勿論性や恋に関してもオープンではありませんでした。

そこに70年代以降に入ってきた西洋文化によって
女性の性的アピールは恥ではなく寧ろ権利であり、
軽率なモノではない価値観が広まります。

性を求めるのは本能なのに
何故それを恥じらい隠さないといけない?

そういった自分達の本音を塞ぐブロックのようなモノが初めて取れ、
本音を自由に発言していいんだ!という希望を見出した世代なのです。

実際今でも男尊女卑が多く残っており、
理不尽に男性が女性のマウントを取ったり、
性犯罪問題も改善されていない社会背景も理解していますが、

恐らく今回に関して、
大事なのは言葉で何を話されているかではなく
本質的に本人が何を訴えたかったかを捉える事も必要で、

テリー氏に関しては今回は褒めたかったのか、
女性をバカにしたかったのか?というと、

当然「ただただ褒めたかっただけ」という事は
皆理解されている事だと思いますが、
その無意識な発言こそに問題を感じている事も理解しています。

 


今回の発言の問題点

 

まず、無意識にそういう発言が出来る事自体が
女性を軽視しているという点に繋がる事を、
本人自覚していない所に最も大きいな問題点があるのではない?と思います。

確かに今回のテリー氏の発言は品に欠け、
同じ表現でも別の言葉選びは可能な中、
公の場であのようなストレートな表現は審査員としてふさわしくない事は、

私自身も賛同しています。

今回のテリー氏のような発言を聞いて、軽率な認識を持ってしまう男性が現れてしまう可能性もなきにしもあらずだからです。

どれだけ注意して発言をしても完璧に問題を防ぐ事は不可能ですが、それでも可能な限り全ての人への配慮に最大の努力を務める事は、

命を懸けて努力している日本における最上級のダンサー達を審査する側の人間に求められる事ではないかと思います。

「テリー氏に語彙力がなかった」では許されない理由は、まさにこの立場にあります。



知性と品性

 

言葉から人の知性と品性が現れます。

知性は「物事へ思慮する時の繊細さ」
品性は「自分以外の存在への気遣いの繊細さ」

今回のテリー氏の発言は、
自己防衛本能のブロックが解除される段階に止まっているレベルの発言であり、

「ストレートに思った事を言った方が言葉以上の見えない情報が伝わる」という事を考慮したとしても、実際にこれまで弱い立場に立たされた事のある女性への気遣いや、

自分の立場や現代の価値観、またDLEAGUEを通じて社会的地位の向上を目指している参加者や主催者、そしてそれを応援しているファンや視聴者の方の気持ちへの配慮が、

完全に不足していた事が考えられるでしょう。


テリー氏がDLEAGUEに出資や投資しているかによってDLEAGUE側がテリー氏への扱いが変わってくるかと思いますし、テリー氏自身に女性を差別する意識はなく、単純にimoonの女性的な魅力を褒めたかっただけと思いますが、

本当に残念ではありますが、シンプルに「時代にそぐわなかった」という他はなく、かと言ってテリー氏を攻撃するのではなく、

単純にDLEAGUE側がしっかり人を審査するのにふさわしい知性と品性を持ち合わている人物、思った事を的確な言葉選びで分かりやすく明確に伝える事の出来る人物を、今後お招きしてくれる事に期待するほかないかと思います。


「性」への理解

しかし、そもそも「性」についてどこまでダンサー自身も理解し、言葉に出来るのか自体も問題であり、そこに着目しているダンサーが果たしてどれだけいて、それを明確に説明出来るダンサーがどれだけいるかを考えた時、

適切な審査員選び自体もそもそも凄く難しい問題であり、
そこの部分も含めて理解した上で、審査員や主催者に完璧さ責任を求めプレッシャーを与えるのではなく、

主催者が攻撃されない為の守りに入ってしまわない様に、しっかり主催者がより面白いコンテンツを提供できるようにみんなで応援する事も大事なのではないかと思います。

今回は大変残念な結果になってしまいましが、
今後のDLEAGUEがしっかり問題改善をし、より最高のコンテンツを披露してくれる事に期待していきましょう。


以上、本日も最後までお読み下さり誠に有難う御座いました。
それでは、また。

 



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ダンスの始まりはアートではない

こんにちわ、BIG PHILLです。
本日はダンスの起源について簡単に振り返りたいと思います。

 

ダンスの起源

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アルタミラ洞窟(スペイン北部)の壁画

現在では「音楽を表現する」が一般的なダンスへの概念ですが、実はもともとは身体の動きそのものが伴奏として機能する「無音楽舞踊」が起源です。

それは自己表現の為ではなく、
宗教儀式や豊作を願う「祈り」でした。

もっとも古い記録では、
旧石器時代(約3万8千年前から1万6千年前の約2万2千年間)のアルタミラ洞窟(スペイン北部)の壁画にまで遡ります。

また、豊作祈願の踊りでよく見られる「足踏みでのリズム取り」が起点となって「ドラ」や「太鼓」のような打楽器が誕生したとも言われています。

例を挙げると、日本の盆踊りもその内の一つです。祖先の霊を祀る行事である「盆」に人が集まった時、また、秋の収穫の時期にも行われます。

韓国・朝鮮の農楽舞や中国のヤンガー(秧歌)も収穫に関係したダンスであり、以前行った事のあるニューカレドニアでは、大地の神に豊作祈願をする際、地面を踏んでダンスをすると、原住民の部族の者からも聞いています。


 

いつからダンスは芸術に昇華したのか?

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パロ


時は14世紀に移り、古代ギリシア文化を復興しようとするルネッサンスという文化運動がイタリアで始まりました。

この時期に、宮廷の余興の一つとして「パロ」というダンスが、今の「バレェダンス」の起源となっています。

のちのちこのパロに対し、あのレオナルド・ダ・ヴィンチが衣裳を担当したり、ジョヴァンニ・ジャコモ・ガストルディドメニコ・ダ・ピアチェンツァが作曲したりと、様々な芸術家が作曲や舞台製作に関わる事で、パロは一つの芸術作品に昇華して「バレェ」となり、やがてイタリアの貴族の間で盛んに開催される舞踏会の中で、一つのコンテンツとして好まれて組み込まれるようになります。

 

hiphopの起源

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soul train (1971~2006)

1920年に民間企業によるラジオが世界で初めて誕生し、1935年にテレビ放送も誕生します。これをきっかけに、「メディア」によって加速する音楽の進化にさらに拍車がかかりました。

ダンスもその影響を受けて、音楽との融合性が高まって行くと同時に、ますますエンターテイメント性が増していきます。

jazz→funk→oldskool hiphopという音楽の流れに沿って、ダンスもswing/bebop→lock→bboyingといった風に変化していきました。

1971年に始まったSoul trainに出演したThe Lockersから始まり、それに影響を受けたElectric Boogalooslockを始めたが後にPoppingを誕生させます。同じ頃、ブロンクスではRock Steady Crewを始め、さまざまなbreakdanceCrewが生まれます。

当時ダンスを誕生させた少年少女たちは、今や60歳前後の年齢となりました。

そんなThe LockersのメンバーであるAlpha(日本でシフトという、両手を後ろに倒し、片足を蹴り上げる動きを作った人、技の正式名称は本人の名前がそのままつけられ「アルファ」)は、70年代の当時をこう振り返ります。

" 私達はhiphopという言葉をRapper's Delightという曲ががリリースされるまで聞いた事もなかったよ。(笑)同じ時代にほぼ同時に生まれたダンスなので我々のlockもhiphopの中に入れられたりする事もあったり、breakin'という映画の影響でそう思った人も多いようだが、実際はもともとhiphopというモノは存在せず、あるのはstreet danceのみだった。厳密にはlockやpopはclubで生まれたダンスでありshow向けのダンスなので、street danceですらないとも言える。breakin'(映画)では見栄えとストーリー上の都合でバトル形式を取っていたが、実際にバトルをするのはbboyingのみであって、ストリートダンスもbboyingが起源となる。"



人間にとってのダンスとは?

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African dance

このように、ダンスには30000年以上の歴史があり、その体系は祈りから芸術、そして芸術からエンタテインメントに移行していきました。

ちなみに南アフリカでは、リズムに乗った状態を一晩中続ける事で「意識変容」させ、神から癒やしのエネルギーを貰い、病に侵された人のヒーリングを行う部族も存在します。

「意識変容」とは、トランス状態の事で、意識変性物質として知られるマリファナアヤワスカを摂取する事で「時間を超越した意識に到達する事」を指します。

脳科学の観点でも、我々人間は一定のリズムを取る事で、脳内でセロトニンが分泌され、覚醒状態になる事がわかっています。

実際に私自身もバトル中、肉体が思考を超越し、知らない筈の音を正確に捉え、技を決めた経験は一度や二度ではありません。

技が音にハマって体感する時間が数秒程止まった後、観客の歓声で我に返ってようやく置き去りにされた思考が肉体に追いつきます。

このような「時間を超越した超感覚(トランス状態)」ダンスの関連性は、一体何を物語っているのでしょうか?

ダンスが生まれた理由に「祈り」が関係しているとすれば、「祈り」と「トランス状態」にはどういった関係性があるのでしょうか?

なぜ現代のように食事が確保されていないその日暮らしである旧石器時代の人達は、莫大な体力を削って危険を冒してまでトランス状態に入り、神と繫がろうとするのでしょうか?


そもそもダンスとは一体なんなのでしょうか?

そんなダンスの本質を理解する為に、
このblogでは、ここらへんから切り込んで行きたいと思います。

 


本日は以上です。
最後までお読み下さり誠に有難う御座いました。
それでは、また!

 

 

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