Big Phillのダンス哲学

ダンスの本質を100年先までに伝える定義の再構築

ROCKINでOGがクラシックのみで踊る事について

こんにちわ、フィリップです。
最近ROCKIN JAPAN がプレゼンスする「ROCKINトークセッション」というラジオを聞いています。

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この中でOG達はクラシックの曲で踊る事に物凄く感情的になってまで強くこだわる事があるという話が出てきます。

じゃあ、クラシックではなく新譜で踊るとROCKINではなくなるのか?
また、それはOG達のエゴであって、新世代からするとそこまでこだわらなくてもよいのではないか?という話が出てきます。

そこに対して私自身がずっと思っている事があるので、ここでラジオのフィードバックが出来ればと思います☟


ROCKERとしての「道」

議論の答えは実は、ラジオの中でGUMI ROCKも言った「道」という言葉に完結すると思っています。

ROCKINを「道」として見ている者は、ROCKERとは何かを知る為に、ROCKERを体現すべく、自分をROCKINに捧げます。

逆にROCKINGを「技術」としてみていて、技術としてマスターしようとする者は、動きのバリエーションや技の破壊力を求め、バトルに勝つ事にマインドがフォーカスされ、自分の「自己証明」の為にROCKINを学びます。

前者は自分の身をROCKINに捧げ、後者は自分の為にROCKINを利用しています。

ゆえに、クラシックのみで踊るのか踊らないか自体はひとそれぞれの自由であり、ダンス本来の楽しむという目的で考えた時に、そこまでこだわる必要は本当はありません。

しかし、なんでもよいとなると、じゃあROCKINってなに?という風になり、定義が定まらなくなります。

定義がなければROCKINがあってないようなモノ。(むしろ無い)
それではカルチャーではなく一過性の遊びやブームとして終わってしまいます。

かといって、じゃあそれぞれの主観で勝手にROCKINの定義を決めて良い訳も勿論なく、やはりオリジネーター達が生きている間に残した言葉やダンス、マインドが材料となり、基準となります。



ところが、ラジオにもあったように、オリジネーター達は素晴らしい感性を持っている反面、生きてきた時代背景にも原因がありますが、ロジカルに「ROCKINの定義とは何か!」というのを考え決める事はせず、寧ろかなりフィーリングで決めてきました。(故に本質的でもあるのですが)

その時代にかかっていた曲を、その時のリアルタイムのオリジネーター達が聞いた時に、本能的に感性が決めたYESとNOが彼らの基準となるのは、それは仕方のない事でしょう。

例えば、クラシックと新譜の曲の違いに明確な説明がないのも、理論的に言語化する習慣を単純にオリジネーター達が持っていないからです。

ただ、そういった定義というモノは図らずも、次世代や新世代の者が客観的にデータを整理し、理論的なボーダーラインを引く事で初めて「体系化」されていくモノなので、

このような議論や時代の繰り返しは、まさしく諸行無常の摂理の一部であるし、ごくごく自然な事であって、これらの問題を解決しようと思うのは、それは宇宙の摂理を変える事への挑戦に等しい行為です。(笑)

ちなみに、それは仮に次世代の私達が上手くカテゴリーを分類し、定義を割り出せたとしても、決して本質や神髄を明確に言語化できた事とはイコールしないので要注意です。

最終的に本質とは理念やマインドの領域にあり、その意識を肉体感覚に落として体現するモノので、言語化できるモノではないからです。

胃が痛くて病院に行って医者にどのように痛いのかを形容できないのと同じ事です。
感覚や感情、精神といった形のないモノは言葉にはできません。

ゆえに真にROCKINをもし理解しようと思うのであれば、
忠実にオリジネーター達の言葉に耳を傾き、探求する以外にないのです。

しかし、それでも100%理解するに至る事はないと理解した上で、
ROCKERを体現する為に、ROCKINGの本質に迫り探求していく、

この探求の旅の事こそがGUMI ROCKのいう「道」ではないかと思います。

結論どこまでがROCKINなのか?

それを明確に決める事はオリジネーター達でも出来ない以上、我々にもそれが出来ないでしょう。

ブルースリー以上にジークンドーが上手い人が存在しないように、今のオリジネーターを超える人達が現れる事はありません。

「L」の方のLOCKINにおいてもそうです。
素晴らしいダンサーはどんどん生まれていますが、

実際に最初のオリジン、つまりDon Campbellの踊りを理解して踊っている人はいないに等しい。今皆さんが踊っているのはオリジンであるDonやThe Lockersの第一世代が残した「体系化されたモノ」を踊っているだけなのです。

LOCKINやROCKINに限らず、空手でも柔道でもなんでもこれに当てはまります。
ゆえに体系化をするときに、どれだけ本質を残せるかがとても重要な事なのです。

余談☟

とはいえ、人それぞれ人生のスタンスや目的が違うので、
自分に一番合った形でROCKINと向き合えばいい話ではあるのですが、

バトルや競技といった形式になった時に、平等性を計ろうとすると結局ROCKINとは何か?という所に戻ってしまうのが難点で、

そこに対して楽しむ事や自己証明の為に勝つ人が大多数を占めた場合、それらに合わせて基準が定まった時に、

その時こそカルチャーは死に、自分の身を捧げて真面目に探求してきた人達の努力も空しく、淘汰されていくようになるでしょう。

それも宇宙の摂理の一部ゆえに、いつまでも正統派と自由派の意見が相いれないのかもしれません。

はっきり言うと、オリジネーター自身が理論的に定義を言語化できない時点で詰んでいるのですが(笑)

そこをどうにかして失わないようにROCKINを愛し、自分を捧げ探求し続ける人達は必ずいるので、自分もその一員となってROCKINに自分の身を捧げる事で「ROCK DANCEの一部」となるか、

もしくはそういった人達の探求が少しでも本質に近づくように支えサポートしたり、よりスポットのある場所に立たせる事で、

ようやくROCKINの定義がより定まったモノになっていくのではないでしょうか?

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